北海道にも「お城」がいっぱいある!有名なお城から珍しいお城までご紹介

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北海道にもお城が多く存在することをご存知でしょうか。北海道は、本州のほか地域とは異なり、外国からの攻撃を守る目的で築城されたお城が多いことが特徴です。北海道唯一の日本式城郭「福山城(松前城)」は、その代表的な存在です。北海道にはそのほかにも、五稜郭や四稜郭、アイヌ人が築造したチャシなどさまざまなお城があります。

こちらの記事では、北海道にあるお城12選を紹介します。それぞれの歴史や構造なども詳しく紹介するので、ぜひ最後までご覧ください。

この記事でわかること

  • 福山城は北海道で唯一天守閣があるお城
  • 北海道には「チャシ」というアイヌ人が築いた砦がある
  • チャシや陣屋、台場もお城に分類される
  • 四稜郭は五稜郭を守るために築造された
  • 五稜郭・勝山館・洲崎館・花沢館で御城印が買える
  • 北海道ご当地ラーメン
  • スープカレー特集

北海道にあるお城12選!歴史や構造についても解説

北海道にあるお城には、主に以下があります。

北海道のお城12選

  • 福山城(松前城)
  • 五稜郭
  • 四稜郭
  • 志苔館
  • ヲンネモトチャシ
  • 勝山館
  • モシリヤチャシ
  • ユクエピラチャシ
  • 松前藩戸切地陣屋
  • 白老陣屋
  • 弁天岬台場
  • 権現台場

天守閣のあるお城は福山城のみですが、五稜郭や四稜郭などの城郭もお城に分類されます。また、アイヌ人が築いた「チャシ」や小藩が構えた「陣屋」、幕末に設置された要塞「台場」は、いずれも敵から守ることを目的とした防御施設であり、お城として分類されるのが一般的です。ここからは、上記12つのお城の歴史やアクセス情報を紹介します。

福山城(松前城)

福山城

福山城は、北海道で唯一の天守閣があるお城です。松前家初代藩主の「松前慶広」により、1606年に築城されたお城で、長崎県の福江城(石田城)と並んで日本における最高期の旧式城郭となっています。福山城は嘉永2年(1849年)に日本近海に異国戦が頻繁に現れるようになったことから、幕府が松前藩に対し築城の命令を出して建てられたお城です。

過去には戊辰戦争で落城し、太平洋戦争では戦火を逃れたものの、1949年の松前町役場の火事により天守が焼失しました。1966年に市民や企業からの寄付金により再建されたため、築城当時のものではありませんが、切妻造の本丸御門や本丸表御殿玄関、旧寺町御門は築城当時のまま残っています。

名称 福山城
(または松前城、松前福山城、福山館)
構造 階数:3重3階
高さ:16.5m
縄張形態:平山城
主な城主 松前氏
営業時間 9:00〜17:00(最終入城は16:30)
料金 【松前城資料館の入館料】
大人:360円
小中学生:240円
(10名以上で団体割引あり)
休館日 12月11日~4月9日
所在地 北海道松前郡松前町松城144
電話番号 0139-42-2216
アクセス バス停「松城」から徒歩で約10分
函館江差道木古内ICから車で約70分
駐車場 無料
公式サイト 福山城(松前城)本丸御門|北海道松前町

五稜郭

五稜郭

五稜郭は(ごりょうかく)、安政4年(1857年)に「武田斐三郎」の設計により築造された、北海道函館市に位置する日本唯一の星形城郭です。その独特な形状は、防御の死角を減らし、敵に対する抵抗力を高めることを目的とした、ヨーロッパの城郭技術に由来しています。幕末の激動期、五稜郭は箱館戦争の舞台であり、旧幕府軍と新政府軍の最後の激戦地であったこの場所は、土方歳三ら多くの志士の最期の地としても知られています。その後、五稜郭は明治政府により一時は解体されましたが、大正3年(1914年)に公園として再整備され、5,000株の桜が植えられたことで、現在では見事な桜の名所としても親しまれています。

また、五稜郭はその歴史的価値から1922年(大正11年)に国の史跡、1952年(昭和27年)には特別史跡に指定され、北海道で唯一の特別史跡となりました。2010年(平成22年)には、箱館奉行所が伝統工法で復元され、歴史を感じさせる空間として多くの観光客を魅了し続けています。

名称 五稜郭跡
(または亀田役所土塁、柳野城)
構造
主な城主
営業時間 4月〜10月:5:00〜19:00
11月〜3月:5:00〜18:00
料金 【五稜郭公園の料金】
無料
【奉行所の料金】
大人:500円
学生:250円
未就学児:無料
(20名以上の団体割あり、65歳以上は半額、障害者は無料)
【五稜郭タワーの料金】
大人:1,000円(障害者は500円)
中・高校生:750円(障害者は380円)
小学生:500円(障害者は250円)
(30名以上の団体割あり)
休館日 年末年始(12月31日〜1月3日)
所在地 北海道函館市五稜郭町44
電話番号 0138-31-5505
アクセス JR「函館」駅から車で約15分
駐車場 エリア周辺に駐車場複数あり
公式サイト 五稜郭の概要|函館市

四稜郭

四稜郭

四稜郭(しりょうかく)は、幕末の動乱期1868年(明治元年)に旧幕府軍により、短期間で築かれた城郭です。五稜郭の北方約3kmの丘陵上に位置しており、五稜郭を守るために設計されました。蝶が羽を広げたような独特な形状が特徴で、東西約100m、南北約70mの広さを持ちます。四角い土塁の各角には砲座が設けられ攻撃に備えられる作りになっていましたが、建物は建設されませんでした。

箱館戦争の最中、四稜郭は新政府軍約4,000名の攻撃を受け、壮絶な戦いが繰り広げられました。しかし、四稜郭は防御のための臨時の要塞であり、その構造は本格的な防御には適していなかったため、旧幕府軍は五稜郭への撤退を余儀なくされたという歴史があります。

戦後、四稜郭は一時的に荒廃が進みましたが、1934年(昭和9年)に国の史跡に指定され、地元の保護と国・北海道の支援により、何度も修復が行われています。現在は、歴史学習の場としてだけでなく、市民の憩いの場としても親しまれています。特に春の桜の季節には、多くの人々が訪れ、土手を散策したり、高台からの景色を楽しんだりするなど、四稜郭ならではの魅力を堪能しています。

名称 四稜郭跡
(または新台場、神山台場、新五稜郭)
構造
主な城主 蝦夷共和国
営業時間
料金 無料
休館日 なし
所在地 北海道函館市陣川町59
電話番号 0138-21-3464
アクセス バス停「四稜郭停留所」からすぐ
駐車場 無料(20台)
公式サイト 史跡四稜郭|函館市

志苔館

志苔館

志苔館(しのりだて)は、14〜15世紀に蝦夷地へ渡来した和人によって築かれた12の館(道南十二館)のひとつです。最東端に位置する志苔館は、主に商人の通商の拠点として機能し、城郭というよりは交易の館としての役割を果たしていました。

約4,100m²の規模を持ち、土塁や空堀に囲まれ志苔館は、1456年(康生2年)の「コシャマインの戦い」で多くの同時代の館とともに陥落し、その後の戦乱を経て廃館となりました。現在はその遺構が石札によって示されており、門跡や井戸跡などを見ることができます。

また、志苔館周辺の海岸線は「宇賀の昆布」で知られる良質な昆布の産地でもあり、標高25mの丘陵上に位置するため、函館山や津軽海峡の絶景を眺望することが可能です。さらに、函館空港の滑走路と近接しているため、飛行機の機内からは函館山や箱館市街地、津軽海峡などを一望できます。

発掘調査により、志苔館跡地からは38万枚を超える古銭を含む多くの遺物が発見され、現在は市立箱館博物館で展示されています。2003年(平成15年)には、その古銭が国の重要文化財に指定されるなど、志苔館は貴重な歴史資料の宝庫として高く評価されています。

名称 志苔館
(または志濃里館)
構造 縄張形態:丘城
主な城主 小林氏
営業時間
料金 無料
休館日 なし
所在地 北海道函館市志海苔町
電話番号 0138-21-3464
アクセス バス停「志海苔」から徒歩で約5分
駐車場 なし
公式サイト 史跡志苔館跡|函館市

ヲンネモトチャシ(根室半島チャシ跡群)

ヲンネモトチャシ

ヲンネモトチャシは、北海道根室半島にある「根室半島チャシ跡群」の中でも特に重要な史跡です。チャシとは、アイヌ語で「柵・囲い・砦」を意味し、ヲンネモトチャシは複数の目的に使われていたとされています。たとえば平時には社会的、宗教的な集会の場として、また談判や祭祀の場として使用され、緊迫した時期には砦としての機能も果たしていました。

ヲンネモトチャシは海抜5〜50mの海に面した崖の上に位置しており、その地形を利用して半円形や正方形の堀が巡らされています。形状は円形、半円形、正方形など多岐にわたり、その多くは空堀や土塁を用いた構造で、当時のアイヌの人々の知恵と技術が凝縮されています。ヲンネモトチャシからは、国後島や歯舞群島を臨む絶景を楽しむことができ、アイヌの人々がかつて見たであろう風景に思いを馳せることも可能です。

現在、ヲンネモトチャシは歩道や階段が整備されており、見学できるようになっています。根室半島の周辺地域は「クナシリ・メナシの戦い」の舞台でもあり、根室半島の歴史や文化に関する知識を深めることができる資料館やインフォメーションセンターも充実しています。北海道内で確認されている約700のチャシの中でも、ヲンネモトチャシはその保存状態の良さと、歴史的な価値を持っていることが魅力です。

名称 ヲンネモトチャシ
構造 縄張形態:チャシ
主な城主
営業時間
(根室市歴史と自然の資料館は9:30~16:30)
料金 無料
休館日 なし
所在地 北海道温根元59・60番地
電話番号 0153-25-3661
(根室市歴史と自然の資料館)
アクセス バス停「納沙布岬」から徒歩で約30分
駐車場 無料(2〜3台)
公式サイト 根室半島チャシ跡群|根室市観光協会

勝山館

勝山館

勝山館(かつやまだて)は、北海道函館市付近にあり標高100mに築かれた山城です。蠣崎信広(かきざきのぶひろ)によって築かれ、その後息子の光広の時代まで蠣崎氏の本拠地として栄えました。1514年(永正11年)に光広が本拠を松前の徳山館に移転した後も、「和喜の館」と称され、蠣崎氏の主要な副城として使用され続けました。

発掘調査により、国内外からの陶磁器や金属製品、木製品など多くの出土品が見つかり、当時のアイヌの人々が使用していた骨角器も出土しています。これらの出土品は、勝山館がアイヌの人々と本州の人々が混住していた可能性を示唆しており、この地の文化的、歴史的価値に注目が集まっています。勝山館の遺構には、空堀や土塁のほか掘立柱建物や橋、道、井戸、庭などがあり、かつての蠣崎氏の生活や統治の様子を今に伝える貴重な資料です。

1977年(昭和52年)には、「上之国館跡 勝山館」として国の史跡に指定され、現在は勝山館跡ガイダンス施設で出土品の展示やCGによる復元映像が見られるなど、歴史を学び、感じることができる場所となっています。勝山館は、その歴史的背景と文化的意義から、多くの訪問者にとって価値ある史跡として残されています。

名称 勝山館
構造 縄張形態:山城
主な城主 武田信廣
営業時間
(勝山館跡ガイダンス施設は10:00~16:00)
料金 【勝山館跡ガイダンス施設の料金】
大人:200円
小中高生:100円
※勝山館跡は無料
休館日 月曜日
所在地 北海道檜山郡上ノ国町勝山427
電話番号 0139-55-2400(勝山館跡ガイダンス施設)
アクセス バス停「上ノ国」から徒歩で約3分
駐車場 無料(33台)
公式サイト 史跡上之国館跡 勝山館跡(国指定史跡)|北海道上ノ国町

モシリヤチャシ

モシリヤチャシは、アイヌ民族のトミカラアイノによって築かれたとされるチャシ(砦)です。アイヌ語で「島のある川」を意味する「モシリヤ」にちなんで名付けられ、その地形的特性を反映した名称です。「お供え山」という別名もありますが、現地では「サルシナイチャシコツ(芦の生いている沢にある砦跡)」や「ポロチャシコツ(大きい砦跡)」などとも呼ばれ、その存在は地域に深く根ざしています。1935年(昭和10年)には「モシリヤ砦跡」として市内のチャランケチャシや春採台地竪穴群とともに国指定の史跡に指定されました。

モシリヤチャシは、その急な斜面と周辺の住居立地の特性から、史跡の保護と安全を考慮して一般の立ち入りが制限されています。史跡の見学を希望する場合は、事前に釧路市立博物館に連絡をする必要があります。

名称 モシリヤチャシ
(またはお供え山)
構造 縄張形態:チャシ
主な城主
(トミカラアイノと言われているが不明)
営業時間
料金 無料
休館日 なし
所在地 北海道釧路市城山1
電話番号 0154-41-5809
アクセス JR「釧路駅」から徒歩で約30分
駐車場 なし
公式サイト モシリヤチャシ跡(史跡釧路川流域チャシ跡群)の見学について|釧路市立博物館

ユクエピラチャシ

ユクエピラチャシは北海道内でも最大級のチャシ跡です。アイヌ語で「鹿・食べる・崖」を意味する「ユクエピラ」と名付けられたこの地は、その名の通り、急峻な崖に面した丘頂部に位置し、約450年前のアイヌ期に築かれました。1987年(昭和62年)9月8日に国指定の史跡となり、その歴史的価値が高く評価されています。

ユクエピラチャシは三郭からなる大型構造となっており、中央部の半円状の壕(ごう)は長さ約100m、幅6m、深さ3mにも及びます。ユクエピラチャシの最大の特徴は、外側の大規模な盛土です。掘り出された白い火山灰とロームを重ね、表面を白い火山灰で覆ったその造形は、夏でも雪が積もっているような美しい姿だったと記録されています。

ユクエピラチャシの大規模さと築造の計画性の高さは、当時この地に有力な指導者が存在していたことを証明していると言えるでしょう。また、陸別に伝わる英傑「カネラン」にちなんで、「カネランチャシ」という別名もあります。

名称 ユクエピラチャシ
(またはカネランチャシ)
構造 縄張形態:チャシ
主な城主
(カネランと言われている)
営業時間
料金 無料
休館日 なし
所在地 北海道足寄郡陸別町トマム2-2
電話番号 0156-27-2141
(陸別町観光協会)
アクセス 足寄ICから車で約40分
駐車場 なし
公式サイト 国指定 史跡ユクエピラチャシ跡について|北海道陸別町

松前藩戸切地陣屋

松前藩戸切地陣屋

松前藩戸切地陣屋は、江戸時代末期に松前藩により築かれた日本初の星形・十字手裏剣の形をした城郭(陣屋)です。ペリー来航後の箱館開港に伴い、蝦夷地の防衛を強化する目的で、江戸幕府により松前藩へ築城が命じられました。「四稜郭」とも呼ばれますが、函館市に五稜郭を守る目的で築造された四稜郭とは別物です。6つの砲座を備えていたほか、陣屋内には17棟の建物が立ち並び、約120人の守備隊によって警備されていたと言います。しかし、1868年(明治元年)に勃発した箱館戦争において、榎本武揚率いる旧幕府脱走軍の進撃を受け、守備隊により戸切地陣屋は自焼・放棄されたという歴史を持っています。

1965年(昭和40年)に土塁や空堀などの保存状態の良さから国の史跡に指定され、「松前藩戸切地陣屋跡」として正式に名付けられました。現在、表御門跡には大手門、裏御門跡には搦手門が推定復元されています。また、戸切地陣屋跡は、桜の名所としても有名で、「北斗市桜回廊」の一部を形成しています。

名称 松前藩戸切地陣屋
(または松前陣屋、清川陣屋、穴平陣屋)
構造 縄張形態:陣屋
主な城主 松前崇広
営業時間
料金 無料
休館日 なし
所在地 北海道北斗市野崎66-10
電話番号 0138-73-3111(北斗市役所)
アクセス バス停「清川陣屋」から徒歩で約12分
いさりび鉄道「清川口駅」から車で約10分
駐車場 無料
公式サイト 松前藩戸切地陣屋跡|北斗市

白老陣屋

白老陣屋

白老陣屋(しらおいじんや)は、1856年(安政3年)に蝦夷地の防衛を強化するため、江戸幕府によって仙台藩に築かせられた防衛拠点です。仙台藩の守備範囲は白老から襟裳岬(えりもみさき)を越え、国後(くなしり)・択捉(えとろふ)までの東蝦夷地に及んでおり、白老に元陣屋を設け、広尾や厚岸、根室、国後、択捉には出張陣屋が築かれました。

白老陣屋の面積は6.6ヘクタールに及び、堀と土塁を円形に巡らせ、内曲輪と外曲輪で構成する複雑な構造となっています。仙台藩士約120名が駐屯し、警備にあたりましたが、1868年(明治元年)の戊辰戦争の際に撤収し、その後陣屋は明治政府により解体されました。

白老陣屋は1965年(昭和40年)に国の史跡に指定され、「仙台藩白老元陣屋資料館」として開館しました。資料館では元陣屋の絵図面や古文書、武具など約300点の資料を展示し、仙台藩による幕末の北方警備の歴史を今に伝えています。

名称 白老陣屋
(または白老伊達藩陣屋、白老仙台藩陣屋、仙台藩白老陣屋、仙台藩白老元陣屋)
構造 縄張形態:陣屋
主な城主 伊達慶邦
営業時間 (仙台藩白老元陣屋資料館は9:30〜16:30)
料金 【仙台藩白老元陣屋資料館の料金】
高校生以上:300円
小中学生:150円
(20名以上の団体割あり)
休館日 【仙台藩白老元陣屋資料館の休館日】
月曜日
年末年始(12月29日〜1月3日)
所在地 北海道白老郡白老町陣屋町
電話番号 0144-85-2666
(仙台藩白老元陣屋資料館)
アクセス JR「白老駅」から徒歩で約30分
駐車場 無料(26台)
公式サイト 白老元陣屋の歴史|北海道白老町

弁天岬台場

弁天岬台場

弁天岬台場は、1856年(安政3年)に外国船の襲来に備えるため、幕府の命により10万両の予算で築造された砦です。不等辺六角形の形状をしており、箱館戦争時に実際に使用されました。新選組が降伏した最後の地として歴史に刻まれています。

弁天岬台場は周囲約684メートル、面積約32,340平方メートルに及ぶ大規模な構造を持ち、高さ約11メートルの石垣を備えた土塁で囲まれています。東南端にはトンネル式通路のアーチ型入口が設けられ、その防御力は当時非常に高かったとされています。

1869年(明治2年)旧暦5月15日には、旧幕府軍が新政府軍の攻撃を受けて降伏し、弁天台場は箱館戦争の重要な舞台の一つとして歴史に名を刻みました。戦争の後、台場は弁天砲台として陸軍省の管理下に入りましたが、1896年(明治29年)の港湾改良工事によって解体され、石材の一部は函館漁港の石積防波堤に転用され、その一部は現在も残っています。台場跡は現在「函館どつく」の敷地内にあり、市電「函館どつく前」電停近くにその跡を示す碑や説明板が立てられています。

名称 弁天岬台場
(または弁天台場跡)
構造 台場
主な城主 旧幕府軍(蝦夷共和国)
営業時間
料金 無料
休館日 なし
所在地 北海道函館市弁天町20
電話番号 0138-23-5440
(函館市観光案内所)
アクセス 函館市電「函館どつく前駅」から徒歩で約1分
駐車場 周辺に有料駐車場あり
公式サイト 弁天台場跡|函館市公式観光サイト はこぶら

権現台場

権現台場(ごんげんだいば)は、函館東照宮に設置された重要な砲台です。1869年(明治2年)の箱館戦争時に、旧幕府軍が本拠地の五稜郭、および五稜郭を守るため急造した四稜郭との間に位置する場所に建てられました。五稜郭と四稜郭の間という戦略的な位置に設けられ、旧幕府軍の最終防衛ラインのひとつとして機能しました。

権現台場は、新政府軍の攻撃を受け、東照宮の社殿も焼失するなど激しい戦いの舞台となりましたが、五稜郭や弁天台場の石垣造りを手掛けた「井上喜三郎」作の大鳥居は現存しています。当時の土塁も現在見ることができ、戦時の激動を物語っています。

名称 権現台場跡
(旧函館東照宮)
構造 砲台
主な城主 旧幕府脱走軍
営業時間
料金 無料
休館日 なし
所在地 北海道函館市神山3-18
電話番号 0138-23-5440
(函館市観光案内所)
アクセス バス停「神山小学校前」から徒歩で約5分
駐車場 なし
公式サイト 権現台場跡(旧函館東照宮)|函館市公式観光サイト はこぶら

北海道で御城印を販売しているお城一覧

お城を訪れたら、記念証の御城印をもらいたいという方もいるかと思います。北海道で御城印を販売しているお城と料金は次のとおりです。

お城 詳細
五稜郭 ・販売場所1:箱館奉行所(五稜郭町44-3)
・販売場所2:お休処いたくら柳野(五稜郭町44-2)
・料金:300円/1枚
勝山館 ・販売場所:勝山館跡ガイダンス施設
・料金:300円/1枚
洲崎館 ・販売場所:勝山館跡ガイダンス施設
・料金:300円/1枚
花沢館 ・販売場所:勝山館跡ガイダンス施設
・料金:300円/1枚

北海道のお城の御城印は1枚300円です。デザインや素材はさまざまで、和紙を使用したもの、城主の家紋が描かれたものなどがあります。

まとめ

北海道には福山城をはじめ、さまざまなお城があります。天守閣はありませんが、アイヌ人が築造したチャシや小藩が構えた陣屋、台場も立派なお城のひとつです。ほかの地域では見られない北海道のお城をぜひ一度見に来てください。

PREZO編集部
PREZO編集部
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