北海道「鉄道」の歴史から分かる北海道開拓の軌跡
北海道に住む人たちにとって、身近な交通手段である鉄道。北海道旅行の移動手段としても人気があり、観光シーズンには賑わいを見せる駅も少なくありません。
道民の生活や北海道の観光を支えてきた鉄道ですが、明治時代から始まった北海道開拓の歴史にも欠かせない存在だったことをご存知でしょうか?
この記事では、北海道の基礎をつくったと言える開拓の歴史を、北海道の「鉄道」の歴史からひもときます。鉄道ファンの方も、そうでない方も、「知らなかった!」という意外な事実がわかるかもしれません!
北海道鉄道の歴史
北海道の鉄道の歴史は、約150年にわたります。ここでは大きく3つの時代にわけて、北海道の鉄道の始まりから現在までの歴史をご紹介します。
北海道鉄道の始まり〜全盛期
北海道で初めて敷設された鉄道は、小樽「手宮(てみや)」〜「札幌」間です。 三笠市の幌内炭鉱で採れた石炭を小樽港まで運ぶため、1880年に官営「幌内(ほろない)鉄道」の起点として、開業したとされています。1882年には幌内まで全通し、石炭の本格的な輸送が始まりました。
1889年、幌内鉄道は「北海道炭礦(たんこう)鉄道」に譲渡され、国営から民営の私設鉄道となります。石炭の輸送と販売に力を入れることで、道央地区での規模を拡大。北海道の開拓に大きく貢献していきました。
企業による鉄道路線の整備が進む一方で、1886年には北海道庁が設置され、道東や道北方面では官設鉄道の敷設も進められました。
1904年には、もうひとつの私設鉄道である「北海道鉄道」により、函館〜小樽間が全通。北海道から本州までが鉄道で結ばれました。
1906年に公布された「鉄道国有法」により、私設鉄道は国有化。組織が一元化されたことで、新たな鉄道網がつくられます。
1916年には路線延長が1,600kmに到達。北海道の鉄道は、石炭や木材などの資源輸送だけでなく、豆類や雑穀などの食料供給としても大きな役割を担うまでになりました。
参考:北海道博物館協会学芸職員部会「鉄道史から見る北海道150年【コラムリレー第6回】」
その後、地方鉄道に関する法律が制定されたこともあり、昭和初期にかけて、北海道内各地で鉄道が開通、延伸されていきました。
鉄道は、北海道の開拓農家や地域で暮らす人々の収入や移動を支える、いわば「血管」のような役割を担っていたのです。
1949年には国営の鉄道組織は「日本国有鉄道」となり、経営を独立化させます。その後1960年代までは景気の上昇とともに、資源や食料の輸送量も順調に伸び、北海道の鉄道網は約4,000kmに達しました。
その一方で、世界では石炭から石油への大規模なエネルギー革命が起こります。日本でも急速なエネルギーの転換が起き、その影響を受けて次々と炭鉱は閉山。地方の人口減少、過疎化が進みます。
国鉄再建法による鉄道路線整備〜JR北海道の発足
炭鉱の閉山による石炭輸送の減少にともなって、北海道鉄道の経営は悪化の一途をたどります。
赤字路線の問題を解消するために行われたのが、大規模な路線の整備、すなわち「廃線」です。1980年に国鉄再建法(日本国有鉄道経営再建促進特別措置法)が成立したことをきっかけに、北海道内の22路線、約600kmの鉄道が廃線、バスに転換されました。
1987年、日本国有鉄道は分割民営化され、北海道旅客鉄道株式会社(JR北海道)が発足。長きにわたる官有鉄道の歴史に幕を閉じます。
その翌年の1988年には、北海道と本州を結ぶ「青函トンネル」が開通。鉄道経営の合理化・近代化が進んだ時代と言えるでしょう。
廃線になった鉄道路線
白糠線、相生線、渚滑線、万字線、岩内線、興浜北線、興浜南線、美幸線、胆振線、富内線、広尾線、瀬棚線、湧網線、士幌線、羽幌線、幌内線、松前線、歌志内線、天北線、名寄本線、標津線、池北線
続く鉄道の廃線〜北海道新幹線の開業
1987年に起こった鉄道の民営化後も廃線は続き、さらに500km以上の線路が姿を消します。
2016年には、JR北海道より「単独では維持が困難な線区」が公表されました。
参考:JR北海道HP(PDF)
JR北海道は経営効率化を進めるため、1日あたりの平均輸送人数で「輸送密度200人未満(片道100人)の線区」を順次廃止してバス等への転換を地域住民の方々へ相談する方針を打ち出し、進める動きが現在も続いています。
輸送密度200人未満(片道100人)の線区
- 札沼線(北海道医療大学~新十津川)
- 根室線(富良野~新得)
- 留萌線(深川~留萌)
また、輸送密度200人以上2,000人未満の線区に関しては「鉄道を維持する仕組みについて相談を開始」すると記されています。
輸送密度200人以上2,000人未満の線区
- 宗谷線(名寄~稚内)
- 根室線(釧路~根室)
- 根室線(滝川~富良野)
- 室蘭線(沼ノ端~岩見沢)
- 釧網線(東釧路~網走)
- 日高線(苫小牧~鵡川)
- 石北線(新旭川~網走)
- 富良野線(富良野~旭川)
全盛期には開拓の要として、多くの人たちの足となっていた鉄道。しかし自動車やバスの普及によりその役割が減少し、安全への配慮やエネルギーの節減など、新たな取り組みが求められるようになったのです。
2016年3月26日には北海道新幹線が開業し、新青森〜新函館北斗間を結びました。2030年には、札幌までの延伸開業が予定されています。
北海道の開拓の歴史を支えてきた鉄道は、時代とともに変化しながらも、北海道の発展を支える重要な役割を担い続けています。
廃線になった鉄道路線
深名線、江差線、石勝線(夕張支線)、札沼線(一部)、上砂川支線、留萌本線(一部)、日高本線(一部)
今もまだ残る北海道の鉄路
1880年から始まった北海道の鉄道の歴史。ここからは、2024年現在も残る、北海道の開拓を支えた各線区の歴史をご紹介します。
函館本線
【全線開業:1905年】
函館本線は、函館から小樽、札幌を経て、旭川までを結ぶ鉄道路線です。かつては「北海道屈指の幹線」として、北海道の物流や移動を支えてきました。
函館本線の工事が始まったのは1902年。函館〜小樽を結ぶために、初代函館駅(現在は廃止)〜本郷駅(現・新函館北斗駅)間、然別(しかりべつ)駅〜蘭越駅間が最初に開通されました。
その後1904年に函館〜小樽間が全通。1905年には現・小樽駅〜現・南小樽駅間が繋がり、北海道炭鉱鉄道に接続したことで、函館〜旭川間が全通しました。
函館本線は、北海道初の特急列車「おおぞら」の運行や、本州と北海道を結ぶ青函トンネルの出入口など、長く北海道の発展を支えてきた鉄道路線です。現在も北海道の玄関口として、重要な役割を担い続けています。
宗谷本線
【全線開業:1928年】
宗谷本線は、日本最北端の駅である稚内に繋がる唯一の鉄道路線です。稚内とサハリン(旧・樺太)を結ぶ幹線として、1896年から建設が始まりました。その後旭川から名寄、名寄から稚内と段階的に開通し、1928年に現・南稚内〜稚内間が開業、全通しました。
宗谷本線の特徴は、かつて「急行街道」と呼ばれるほど、多くの急行が走っていたこと。以前は支線もいくつか建設されていましたが、現在は旭川から稚内まで一本で繋がっています。
室蘭本線
【全線開業:1928年】
室蘭本線は、道南に位置する長万部(おしゃまんべ)から西に延び、室蘭、苫小牧を経て、岩見沢までを結ぶ鉄道路線です。
1904年に開通していた函館〜長万部〜小樽間と、長万部〜東室蘭間が繋がり、全通したのが1928年。かつて夕張にあった「石狩炭田」で採れた石炭を室蘭港へ運ぶ役割を担っていたとされています。
現在は長万部〜沼ノ端間が特急列車の走行区間となっており、北海道内でも重要な幹線のひとつです。
根室本線・花咲線
【全線開業:1921年】
根室本線は、函館本線の滝川から帯広方面に延び、釧路を経て根室までを結ぶ、北海道で一番長い鉄道路線です。1991年、根室本線内の釧路〜根室間に「花咲線」という愛称が付けられました。
根室本線とは、旭川〜富良野間を結んでいた「十勝線」と、帯広〜釧路を結んでいいた「釧路線」が統合し、改称された幹線です。1907年に旭川〜帯広間が全通し、旭川〜釧路間は「釧路線」と呼ばれるようになりました。
その後、滝川〜富良野間が開通し、1921年には釧路〜根室間が開通。滝川〜根室までが全通し、現在の根室本線となりました。
かつては観光やウインタースポーツでの利用客が多かった根室本線ですが、現在は路線の一部がJR北海道による維持困難線区に指定されています。富良野〜新得間は2024年3月末での部分廃止が決まっています。
石北本線
【全線開業:1932年】
石北本線とは、旭川から北見を経由し、道東の網走を最短で結ぶ鉄道路線です。
石北本線の始まりは、1912年に開通した北見〜網走間と言われています。現・根室本線の一部として建設され、その後山岳地帯を避けながら、旭川〜富良野〜池田〜北見〜網走と延伸し、最初は「網走本線」と呼ばれていました。
その後接続や分岐、石北トンネルの開通などにより、1932年に現在のルートが完成。
残った池田〜北見間はその後「池北線」「北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線」と名称を変え、2006年に廃止されました。
釧網(せんもう)本線
【全線開業:1931年】
北海道の東部、東「釧」路〜「網」走を結ぶ釧網本線は、釧路湿原や阿寒岳の山々を望むことができる、車窓からの眺めが美しい鉄道路線です。
観光列車として知られている、「くしろ湿原ノロッコ号」が走っているのもこの路線です。
釧網本線は、1922年に「網走本線」の延長として工事が始まりました。1925年には網走〜知床斜里間が開通します。しかしその後、釧路側の工事が難航し、釧路〜標茶(しべちゃ)間が開通したのは1927年。1931年に川湯温泉〜札弦間が開通したことで全通しました。
富良野線
【全線開業:1900年】
北海道のほぼ中心を南北に走る富良野線は、旭川〜美瑛、富良野などの人気の観光地を結ぶローカル路線です。観光シーズンには臨時列車も多く運行されています。
富良野線は、1900年に上富良野〜下富良野(現・富良野)間が開通したことで、旭川〜富良野間が全通。当初は「十勝線」と称されていました。その後1913年に「富良野線」に改称され現在に至ります。
留萌本線
【全線開業:1910年】
留萌本線は、2024年現在「深川〜石狩沼田」間のみ運行している、全国で一番短い本線です。しかしこの区間も2026年に廃線が決まっています。
かつては留萌には炭鉱があり、石炭の輸送で栄えていました。また日本海ではニシン漁が行われ、鉄道は海と内陸を結ぶ重要な役割を担っていたとされています。1910年に深川〜留萌間が全通しました。
しかし炭鉱の閉山後は利用者が激減、観光客も少なくなり、廃線を余儀なくされました。
- 留萌〜増毛/2016年12月に廃線
- 石狩沼田〜留萌/2023年4月に廃線
- 深川〜石狩沼田/2026年4月に廃線予定
日高本線
【全線開業:1937年】
日高本線は、かつて苫小牧〜様似を結んでいた鉄道路線です。2024年現在は「苫小牧〜鵡川」間のみ運行しています。2015年に高波による土砂流出のため鵡川〜様似間が不通となり、復旧が検討されていましたが、2021年に廃線となりました。
日高本線は、1909年苫小牧〜鵡川間に木材運搬用の、馬車鉄道が敷かれたことがきっかけで始まりました。1911年には動力は馬から蒸気機関車に変わります。
その後1913年には、この路線で「苫小牧軽便鉄道」が一般運輸の営業を開始。苫小牧〜旧・富川まで延伸しました。その後1927年に国有化されて「日高本線」となります。様似まで全通したのは1937年8月でした。
- 鵡川〜様似/2021年4月に廃線
まとめ
北海道の発展を支え、時代とともにその姿を変えてきた北海道の鉄道。かつては多くの人の足として利用されてきた鉄道も、利用者が減り、廃線や減便を余儀なくされているのが現状です。その一方で、観光列車など独自の取り組みを打ち出している路線もあります。
北海道ならではの美しい景色をゆっくりと楽しめるのが、鉄道旅の魅力です。 北海道旅行の際には、ぜひ地域の鉄道に乗り、その歴史に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。