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クラーク博士は何をした人?名言やクラーク博士像の場所も紹介

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北海道の偉人と言えば、あの名言を残した北海道開拓の父・クラーク博士を連想する人も少なくないでしょう。クラーク博士像は北海道でも有数の観光スポットとして多くの観光客で賑わっています。

しかし、実際にクラーク博士がどのような人物で何をしたのか知らないという人もいるでしょう。この記事では、クラーク博士についてのさまざまな情報を紹介します。クラーク博士や「少年よ大志を抱け」などの名言について詳しく知りたい人は、参考にしてみてください。

この記事でわかること

  • クラーク博士は北海道開拓の父と呼ばれる教育者
  • 最先端の農業学を北海道に伝えて北海道開拓の礎を作った人物
  • 札幌農学校(現・北海道大学)の初代教頭
  • クラーク博士像は札幌に3カ所ある
  • 北海道ご当地ラーメン
  • スープカレー特集

クラーク博士は何をした人?

クラーク博士は何をした人?

クラーク博士の本名は、ウィリアム・スミス・クラークです。アメリカ人で化学・植物学・動物学に長けた教育者であり、日本では北海道大学の前身となる札幌農学校の初代教頭として教鞭をとっていました。

クラーク博士が札幌農学校の生徒に教えたのは、アメリカの最新式農業についてです。クラーク博士が教えた最新の農学教育により、北海道の開拓は劇的に進んだと言われています。

この功績から北海道開拓の父と呼ばれるようになり、クラーク博士は日本の歴史に名を刻みました。

クラーク博士の名言

クラーク博士の名言

クラーク博士の名言として今も語り継がれているのが「Boys, be ambitious(少年よ大志を抱け)」です。この名言を聞くと、右手を空に掲げた銅像を連想するという人も多いのではないでしょうか。

クラーク博士の名言にはさまざまな諸説があります。

「少年よ大志を抱け」は北広島市で言われた名言

クラーク博士が「Boys, be ambitious」の名言を残したのは、札幌農大を去り帰国する間際のことだったと言われています。帰国のために見送る生徒達と北広島市で別れる際に残した言葉が、現代まで語り継がれているのです。

ちなみに、この名言は札幌農学校の1期生13人に向けられた言葉であったことが記録に残っています。

実は「Boys, be ambitious」ではなかったという説もある

クラーク博士の教え子である札幌農学校1期生の話によると、実はクラーク博士が残した言葉は「Boys, be ambitious」ではなかったという説もあります。

「Boys, be ambitious like this old man(この老いた私のように、あなたたち若い人も野心的であれ)」

「Boys, be ambitious in Christ (年よ、利己のためや はかなき名声を求めることの野心を燃やすことなく、人間の本分をなすべく大望を抱け)」

などの言葉を残したという主張もあります。

この名言の真意を確認する術はありませんが、どの言葉もこれから北海道を開拓していく生徒達の大きな心の支えとなったことでしょう。

クラーク博士像を見れる場所は3カ所ある

クラーク博士像と言えば、右手を空に掲げた銅像を連想する人が多いでしょう。しかし、これ以外にもクラーク博士像が存在することをご存知でしょうか。

続いては、クラーク博士像を見ることができる場所を紹介します。

北海道大学

北海道大学のクラーク像

クラーク博士は北海道大学の前身となる札幌農学校の礎を築いた人物です。そのため、北海道大学にはさまざまな場所にクラーク博士の銅像が設置されています。

一般の人でも見ることができるのは以下の場所にある銅像です。

  • 中央ローン
  • クラーク会館2階

北海道大学の中央ローンに展示されているクラーク像は上半身のもの。クラーク像としてよく知られている右手を空に掲げたものではないので、注意してください。

クラーク博士の銅像設置後、北海道大学は観光スポットとして多くの観光客が足を運ぶようになりました。しかし、あまりに観光客が増え学業に支障をきたすという理由で、構内への観光バスの乗り入れを禁止。現在は徒歩なら一般観光客も構内の観光が可能です。

また、関係者以外は立ち入ることができませんが、以下のスポットでもクラーク博士像を見ることができます。

  • 保健管理センター
  • 附属図書館北方資料室
  • 大学本部の大会議室

これらは学生や教員などしか立ち入れない場所なので、北海道大学に入学した人や関係者などしか見れないプレミアスポットと言えます。

北海道大学は広い敷地を活かした豊かな自然を一般観光客にも公開しています。北海道大学のクラーク像を見に行く時には、マナーを守って大学の運営を邪魔しないよう節度を持って観光しましょう。

住所 ●北海道大学
北海道札幌市北区北8条西5丁目[map

●中央ローン クラーク像
北海道札幌市北区北9条西7丁目[map

●クラーク会館
北海道札幌市北区北8条西8丁目[map
電話番号 ●北海道大学
011-716-2111

●クラーク会館
011-758-9550
営業時間 クラーク会館 8:30~21:00
休業日 クラーク会館 日曜・祝日及び年末年始の休日
入場料 無料

北海道大学植物園 宮部金吾記念館

北海道大学植物園宮部金吾記念館のクラーク像

北海道大学植物園の初代園長である宮部金吾の功績や遺物について展示している宮部金吾記念館にもクラーク像があります。宮部金吾記念館は北海道大学植物園内の施設です。

宮部金吾記念館に展示されているクラーク像は、サイズこそ小さいものの現在展示されているクラーク像の原型になったモデルだと言われています。

住所 北海道札幌市中央区北3条西8丁目[map
電話番号 011-221-0066
開園時間 ●夏季
4/29~9/30 9:00~16:30(入園は16:00まで)
10/1~11/3 9:00~16:00(入園は15:30まで)

●冬季
宮部金吾記念館は休館
休園日 月曜日(祝日の場合は翌平日)
入園料 ●夏期
高校生以上:420円
小~中学生:300円
未就学児:無料

●冬期
小学生以上:120円

さっぽろ羊ヶ丘展望台

さっぽろ羊ヶ丘展望台のクラーク像

右手を空に掲げている全身のクラーク像を見たい人は羊ヶ丘展望台を訪れてみてください。

実は、北海道大学のクラーク像は観光客の増加により大学の運営に支障をきたすとして一時、観光客を制限する動きがありました。そこでさっぽろ羊ヶ丘展望台に新たなクラーク像を設立。「丘の上のクラーク」というテーマで作られ、広大な土地の中でクラーク像が佇んでいるのが印象的です。

さっぽろ羊ヶ丘展望台のクラーク像には、大志の誓いとして自分の大きな夢や希望を投函することができます。保管料として1枚100円かかりますが、ここに投函した誓いは大切に保管され、再びさっぽろ羊ヶ丘展望台を訪れた際に見ることができます。クラーク像の大志の誓いは観光客に大変人気です。

住所 北海道札幌市豊平区羊ヶ丘1番地[map
電話番号 011-851-3080
営業時間 4月~3月 9:00~17:00
休業日 なし
入場料 大人:530円
小・中学生:300円
未就学児:無料

【諸説あり】クラーク博士にまつわる小話

【諸説あり】クラーク博士にまつわる小話

クラーク博士がどのような人物なのか分かったところで、最後にクラーク博士に関する雑学を紹介します。クラーク博士について詳しく知っておくと、クラーク像観光がさらに楽しめるようになるでしょう。

クラーク博士はケンカが強い情熱家だった

博識で大学の教頭を務め、札幌農学校を取り仕切っていたクラーク博士。何となく、インテリやクールなイメージを抱く人も多いのではないでしょうか。

しかし、クラーク博士と札幌農学校1期生の思い出を綴った「クラーク先生とその弟子たち」という本の中で、クラーク博士は非常に勝気な人物であったことが記されています。

非常に負けず嫌いで喧嘩も強かったとされており、何だか意外な一面を発見したような気持ちになりますね。

クラーク博士はすごいキャリアの持ち主

北海道大学旧札幌農学校昆虫及養蚕学教室

※画像は「北海道大学 旧札幌農学校昆虫及養蚕学教室」

クラーク博士は札幌農学校の設立にともない、日本政府からの要請を受けて教頭の地位に立った人物です。それだけでもエリートであることは想像に容易いでしょう。

医師の父を持つクラーク博士は、ウィリストンの神学校に入学。卒業後はアマースト大学に入学しました。アマースト大学はマサチューセッツ州の名門私立大学です。全米最高峰のリベラルアーツ・カレッジと言われており、現在も難関名門大学として名を馳せています。

卒業後は母校であるウィリストン神学校で化学教諭として務めました。その後、植物学を学ぶべくドイツ・ゲッティンゲン大学に留学。ゲッティンゲン大学は、ノーベル賞受賞者を45人輩出しているドイツ最高峰の大学です。クラーク博士はゲッティンゲン大学で博士号を取得しています。とんでもない高学歴エリートコースを邁進していることがお分かりいただけるでしょうか。

留学後は、母校アマースト大学で20代にして大学教授に就任、さらにマサチューセッツ農科大学の学長も勤めていました。日本政府の要請を受けて札幌農学校の初代教頭に就任したのはその後の話です。

北海道を去った後は、マサチューセッツ農科大学の学長を退任。新たな学校設立の資金を獲得するために、友人と鉱山会社「クラーク・ボスウェル社」を設立します。ここで会社運営を軌道に乗せたものの、知人が会社の金を持ち逃げし倒産。59歳という若さで心臓病により亡くなりました。

エリート街道を走ったクラーク博士でしたが、最後は失意の中亡くなったと伝えられています。

クラーク博士を推薦したのは同志社大学の創設者

同志社大学

※画像は「同志社大学今出川キャンパス 彰栄館」

エリートであったクラーク博士ですが、なぜ札幌農学校の初代教頭就任が要請されたのか疑問に思う人もいるでしょう。

実は、札幌農学校の招待教員を選定する際にクラーク博士を推薦した人物がいます。それが、現・同志社大学の創設者である新島 襄(にいじま じょう )です。新島 襄と言えば、初代総理大臣として知られる伊藤博文も参加した岩倉使節団員の団員であったことも有名です。

アマースト大学に留学中クラーク博士の講義を受けた新島 襄は、その講義の分かりやすさや革新的な内容に酷く感銘を受けたと言われています。そこで、札幌農学校設立に際してクラーク博士を招待教員として推薦しました。

新島 襄はクラーク博士が受け持った初めての日本人生徒だったのです。

クラーク博士は類を見ないVIP待遇だった

クラーク博士はいわゆる「お雇い外国人」のポジションで札幌農学校に招待されました。お雇い外国人とは、幕末から明治にかけて国力を強化するために日本政府によって雇用された外国人のことです。

当時はさまざまな分野で多くのお雇い外国人が日本へ招待されていました。その月額報酬は平均180円程(現在の価値に換算すると360万円くらい)でした。そんな中、動物学者として来日し大森貝塚を発見したエドワード・シルヴェスター・モースの月額報酬は350円ほど、土木技術者で日本最初の石造り灯台を建設したリチャード・ブラントンの月額報酬は500円だったと言われています。

クラーク博士はこれらのお雇い外国人を凌ぐ好待遇で招待され、月額報酬は600円、年俸7200円(現在なら1億4,400万円程)で契約を結んでいたことが記録されています。

クラーク博士の滞在期間はたった8ヶ月

日本の開拓史に名を残すクラーク博士。さぞ、北海道の発展に長く貢献してくれたのであろうと思う人も多いでしょう。実は、クラーク博士が日本に滞在したのは約8ヶ月です。

クラーク博士はマサチューセッツ農科大学の学長として在籍中、1年間の休暇を使って来日していました。つまり、元々短期間であることを前提としていたのです。

その内たった8ヶ月で生徒達に教えたことが北海道開拓を劇的に進めたと思うと、改めてクラーク博士の成し遂げたことの偉大さが分かります。

クラーク博士が北海道にカレーを広めた?

クラーク博士が北海道にカレーを広めた?

子どもから大人まで幅広い年齢に愛されるカレーライス。日本で食べられるようになったのは明治初期と言われています。当時はジャガイモやニンジン、玉ねぎなどの西洋野菜は日本では生産されておらず、北海道開拓と共に生産量が増加します。現在のカレーライスに近い料理は、北海道から広まっていったという説もあります。

クラーク博士は札幌農学校の教頭として就任しましたが、実際は学校の全てを取り仕切っていたと言われています。クラーク博士は欧米のようなパン食を推進、米食を禁止しました。そんな中唯一米食が許されたのがカレーライス(ライスカレー)だったのです。

真偽の程は定かではありませんが、北海道にカレーライスを広めることとなる発端者はクラーク博士だったのではないかという噂もあります。

まとめ

北海道開拓の父・クラーク博士について、どのような人物であったのか紹介してきました。クラーク博士の偉業は、北海道で暮らす人々だけでなく農産物で北海道農業の恩恵を受ける全ての人にとっても大きな偉業であると言えます。

北海道を訪れた際は、明治初期にこの広大な土地を開拓した人々を思い、ぜひクラーク博士像を見に行ってみてはいかがでしょうか。

PREZO編集部
PREZO編集部
美味しいものに目がない。食べ歩きやお取り寄せ大好きなPREZOのスタッフが、地域の魅力や商品にまつわるストーリー、北海道の豆知識など、とっておきの情報を発信!